2011年12月26日月曜日

辺野古〜嘉手納〜普天間


恩納村のオーベルジュ・ボンヌ・シェール・ラウーに寄ったついでに、沖縄が、いや日本が抱える最大の問題の一つである基地問題を実地に見るために、辺野古、嘉手納、そして普天間を訪ねてみた。
那覇空港近くで車を借りてすぐ、沖縄自動車道をとばして名護市辺野古へ。「普天間基地の移転先」として日米政府が合意した辺野古では、予定地近くで座り込みのテントが設置されている。辺野古沖の基地建設に抗議する座り込みは、2004年から続けられ、すでに2,800日を越えていた。テントで張り込んでいた篠原さんという女性から、「辺野古沖の基地は普天間の代替のためではなく、はじめからアメリカが欲しがっていた施設であること」「今では、アメリカにとってもどうしても必要という施設ではないが、日本がお金を出してくれるので進めていること」そして「基地建設で潤うのは、地元沖縄の業者はごくわずかで、本当に潤うのは内地のゼネコンであること」などの説明をうかがった。結局、基地問題も利権がらみの儲け話であり、地元にもある程度降りてくる金があったとしても、ただで基地がもらえるアメリカと、受注でも受けるゼネコンを利するだけ。「ゆすりたかりの名人」はどちらかと問いたくなる。
辺野古のテント

基地建設予定地に入れないように
辺野古の浜を分断する形で作られたフェンス
「基地反対」を叫ぶ、多数のメッセージなどが張り付けられている

翌日、宿を出てまず「道の駅かでな」へ。世界有数の空軍基地で、アメリカのアジア戦略の拠点として、多くの人殺しに関わってきたこの基地を展望できるこの施設は、性格のよくわからない施設だ。3階にある学習室には、嘉手納の歴史が展示されている。この展示を見る限り、広大な土地を基地に取られ、住民は狭い土地に押し込められて騒音や事故の危険を耐え忍んでいると、基地に批判的なようだが、いっぽうで、基地展望を売り物にしたり、ミリタリーグッズが売られているなど、商売に利用している風もある。展示室のビデオで最後に「私たち(嘉手納町民)」は平和を望んでいます」とあったが、それは基地のない平和なのだろうか? それとも基地と共存した平和なのだろうか? それにしても、基地が丸見えのこの施設は、米軍はどう思っているのだろうか? 
3,700m滑走路2本を有する極東最大の米空軍基地

「道の駅 かでな」
4階が展望台になっていて、基地を見渡せる

最後に嘉数(かかず)高台公園の展望台から普天間基地を展望。沖縄戦の激戦地で、塹壕跡なども残るこの公園から、市街地を押しやるように占拠している米軍基地をみると、戦後は終わっていないのかという感慨も受ける。普天間周辺では常にヘリコプターの爆音が轟き、周囲の住民の不安はいかばかりと思う。アメリカ国内の規則に則っても違反に当たるというこの危険な基地を、辺野古沖基地との交換条件のように使う日米政府の不誠実さに憤りを感じる。ゆすりたかりに長けているのは日米政府の方だろうに!
嘉数高台公園展望台から展望する普天間基地
辺野古沖とは無関係に無条件返還を求めるのが
日本人としての良識だろう

沖縄の地図、特に中、北部の地図を見ると、米軍基地を示すグレーゾーンがいかに大きい範囲を占めているかがわかる。在日米軍の存在意義を認める人であっても、沖縄のこの地図を見て何も感じない日本人は、人間性を疑われてしかるべきだと思う。

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